スーパーボランティア尾畠(おばた)春夫さん(79歳)の元気の源は??

山口県周防(すおう)大島町で

2018年8月12日から行方不明になっていた

藤本理稀(よしき)ちゃん(2歳)

(同県防府市)が無事に保護されました。

行方不明になってから68時間。

 

発見したのはボランティアの

尾畠(おばた)春夫さん(79歳)

尾畠さんは大分県日出町(ひじまち)

在住で、66歳で鮮魚店を閉めた後、

徒歩で日本を縦断したほか、

新潟県中越地震や、

東日本大震災の被災地で

ボランティアを行った。

 

2016年12月、大分県佐伯市で

2歳女児が行方不明になった際も

捜索に加わり、女児は無事に保護されました。

尾畠さんは西日本豪雨の被災地から

一時帰宅した際にニュースで

理稀ちゃんの不明を知り、

周防大島町に駆け付けた。

理稀ちゃんの家族と会って

自身の手で引き渡す決意を伝えたうえで、

15日午前6時ごろから単身、裏山に入った

 

 

 

小さな命は、発見当時『ぼく、ここー』と
存在をきちんとアピールし、

日陰で体力を温存していたのか

うずくまっていたようです。

 

父親 母親 祖母 祖父 曽祖父 兄姉、

そして報道を知った多くの人々がみんな
藤本理稀ちゃん、あなたの無事を

祈っていましたよ!!
見つかって本当によかった。

 

大分からやってきたボランティアの男性

尾畠春夫さんは東日本大震災でも
活躍したベテランボランティアでした。

14日時点で行方不明から丸二日以上

経っており、
健康状態が非常に心配されていました。

暗くなってから捜査は一時中止。

翌日(15日)は朝7時から
引き続き捜査を再開すると言われていました。

 

投入された捜査員は延べ150人と

言われている中
住民1000人ほどの山口県周防(すおう)

大島町は 都会程、街灯もなく、
また用水路やミカン畑、

小さな川やため池など
夜通しの捜査は不可能な環境に

思えましたので
『生命線となる48時間』を過ぎ、
警察としても苦渋の決断だったと思います。

 

発見された藤本理稀(よしき)ちゃんは
帰省していた山口県周防(すおう)

大島町家房の曽祖父宅付近から
数百メートル北東の山中で発見、

保護されました。

そこは木々の真下で日陰になっており
体力を奪われていると思われる
藤本理稀(よしき)ちゃんは
沢の苔むした岩の上に
うずくまっていたといいます。

発見したのは、大分県から

捜索ボランティアで
大分県から車で駆けつけた79歳の

尾畠春夫(おばた・はるお)さん。

広島県でのボランティアを終え、
一時帰宅していたが、
テレビで報道を見て
広島の被災地に向かう予定でしたが
自宅から約350キロの山口県周防

(すおう)大島町に急遽目的地を変更。
心配でボランティアに参加したようです。

 

ボランティアの尾畠春夫さん(79)が
藤本理稀くん(2)を見つけられた

理由→2日半経って「もう死んでいる」

「猛禽類にさらわれた」など
と憶測が飛び交う中、尾畠春夫さんは

諦めずに「よしきくーん!」と

呼びかけて歩き続けた。
すると「ぼくここ」と返事があり、

発見に至りました。

 

長年の勘で
『見つかるかもしれない』
と考えた尾畠春夫さん。

2歳の男の子(行方不明時は1歳11ヶ月)は
上へ上へ上っていくのではないか?と考え
曽祖父宅から山手に的を絞り捜索していました。

発見直前の15日朝6時半頃、
山中に入る前にメディアのインタビューに
答えた後、藤本理稀ちゃんの曽祖父宅から山手にある
山中に向かい、母親との約束通り、
無事に藤本理稀ちゃんを発見し
保護したのです。

 

「小さな命が助かったと思った。

本当にうれしかった。

助かってよかった、

助かってよかった。ただそれだけ」

 

尾畠春夫さんには、藤本理稀ちゃんくらいの
孫がいたようです。

元魚屋さんで、若い頃から

魚を食べてたのもあるでしょう。
普通、土建業でもきつい泥かきの

ボランティアを続けている78歳の尾畠さん

 

車中に寝泊まりして、食事も持参、

おかずは何と『梅干し
毎日1個は食べていると語ってくれました。

 

尾畠さんは「体が元気なうちは、

まだまだ世の中のために働きたい」

と意気込んでいます。

背筋も気力もしゃんとして、

特に今年は38℃~41℃超えの

猛暑だったのに、

ボランティアを続けられる秘訣は

天然塩で漬けた梅干し』だったようです。