九州北部豪雨水害で閉じ込められた体験記

大分県日田市は平成29年(2017年)7月5日 の豪雨被害により山崩れで川がせき止められ、
ダム湖状態で家が何軒も浸かり、避難勧告の市内放送がありました。

携帯でも緊急避難勧告が何回もでました。

私は被害が最も多かった日田市小野地区、山崩れで川がせき止められ、
ダム湖状態になった隣の町内の殿町に住んでいます。

豪雨の影響で川の側の至る所の道路が決壊し、孤立状態になってしまいました。
 
翌日ダム湖化した地区は湖に浸かってて驚き!

 

土石流で新築の家が2軒も埋もれました  川沿いの家、水の引いた後壊れてた

5日の午前中から降り始めた豪雨は止むことを知らず夜中まで降り続けました。

高圧洗浄機のジェット水がいつまでも大量に降り続けたようで、山全体に降った雨が一気に沢へ流れ込み、すごい量。
今まで、チョロチョロだった小川に大量の水がまるで滝のように流れ込み続け、少し高台にある自宅庭から倉庫の広い敷地にドンドン水が溢れ水没 20cm。溢れた水は下の川へ流れ続け、遂に倉庫の中まですごい勢いで泥水が流れ込み床上10cm、バケツで汲み出しても追いつかなくなった。

 

外は豪雨で水深20cm、倉庫の中から外を写した写真と2日後の倉庫の泥水。

濡れて困る物を台の上に置いていき、上からの雨漏り用にブルーシートを被せて回った。

家の前は土石流が流れ込み滝状態で道も半壊し、寄り付けないので、しばらく考えて、
石垣を捕まえて、なんとか家にたどり着きました。

台所に着くと椅子が倒れてたので変だなと思っていたら、床下に濁流水が入り、床下収納庫が浮きあがって、押しても下がらない状態。




 
あるだけのLEDの懐中電灯に電池を入れ、スマホの充電をしている内に停電で真っ暗になってしまった。この時、夜の7時位

カミナリと滝のような響音が夜中まで続いた。

主人は子供を迎えに行き、山崩れでダム湖したところが危険で通れないと消防団員に止められ、車を乗り捨てて、豪雨の中、山道を歩いて夜中に帰り着いた。

2日後行ってみたら、ダム湖したところ一帯の家や集会所などが水に浸かって湖状態、景色が変わってしまってた。まさかこんなにひどくなるとは、思いもしなかった。

ダム湖の下に止めている車も水が一気に流れ、流されているので、行くなと止められた。

四国に居る子供から、携帯へ、ダム湖の下に止めている車のナンバーを聞いてきた。自衛隊ヘリの撮影した画像から、車のナンバーを探したら、あった!見えた!と言ってきた。

 

山崩れでダム湖化した付近の集落は自衛隊のヘリコプターで全員避難した後だった。だれもいない部落を歩いて通り抜けた先は、土砂で埋もれた道路で通れないので、引き返した。仮の道路突貫工事中で重機が何台も忙しく動いてた。

 

4日目、ようやく、車の所へ辿り着くと、車は流されずあったが後部のガラスが割れていた。3晩置いてたので、車上荒らしか??車を動かすためにサイドブレーキを解除の為にガラスを割ったのか?? ま、車が濁流に流されてなくて良かったと思った。

車屋にもって行き、破片を吸い取ってもらい、ガラスを頼んできた。
ダムの下と家に車を置いているので、家の車用にガソリンを買いに行く。途中山崩れでせき止められたダムのそばをリックを背負って買ってきたガソリン缶(5Lでも缶の重さもあるので、結構重い)を持ち、初めての山道を探りながら、大変な思いをして帰ってきた。

家の駐車場の車は土石流に埋まって出せないので、自衛隊員10人に引き上げてもらい、エンジンをかけてみたら、動いたので嬉しかった。

 

目の前の元小学校の跡地の災害連絡事務所、そこの運動場へ、自衛隊ヘリコプターが1機に20~30人を避難所へ緊急搬送。隣近所、家族ごと、話がついたところから、申し込むと翌日緊急搬送してもらえる。病人や赤ちゃん連れが優先的。停電で粉ミルクも手にはいらないので先にヘリへ乗り込んだ。 1日5~6回搬送するヘリの音がまるで戦場のようだった。周辺もすごかったので、上空を自衛隊機が何度も通って行った。 市内の避難所の体育館は蒸し風呂状態で、寝られないのもキツイので。救援物資も徐々に来たようだったが近くの避難所へ行かず自宅で過ごした。この近所は自宅待機が多かった。

 

電気、TV,電話、携帯も使えず、電波の届く所を探してみた。1ヵ月位、長引くかなと思っていた電気が3日目に灯いた。
ガスも無いので、家にあったコンロと竹炭で玄米を圧力鍋で炊き缶詰めと梅干しで食事。

遠回りの迂回路ができたので、日田市から大鶴町を通り、東峰村を通って帰る途中被害にビックリ。道の両脇は大木や瓦礫の山だった。救援の自衛隊トラックがいっぱい止まってた。

電話もTVも携帯も新聞も無く、道路も決壊してたので、まわりの被害状況が解らず、1週間経って通ってみて、よそのもっとひどい惨状に思わず引き返したくなるようだった。

 

日田市は消防団員がパトロール中に災害に巻き込まれ1名亡くなり、女性も2人川に流され亡くなった。福岡県朝倉市は31人の死者が出た。上空では寒冷前線がこの一帯集中して長時間豪雨が居座ったことになる。

 

家の前に土石流が1.3m位の厚さで堆積、家の壁まで迫ってた。

  

何も無かった庭に土石流と滝のような水が流れ込んだ。

豪雨から2,3日後は梅雨明けで晴天が続き、浸水は乾いたけど、土石流で水の流れが変わってしまい、水が家の裏側をながれ、床下へ入り始めたので、困った。ブルやシャベルカーで岩石を取り除かないと無理な所、待ってても来ないので、手で岩や石を並べ変えて、ビニールで覆い外へ水がでるようにした。

 

災害で電波塔もダメになった時、一番先に駆けつけてくれた、電波会社は??

道路も決壊して困っている時、災害から4日目位に2台の軽自動車が災害連絡事務所へ。

何処から来たのだろう??と思って尋ねたら、ソフトバンクの機材を積んでブルーシートを覆った軽自動車2台がヘリで熊本から飛んで来てくれた。緊急の電波棟を建て、携帯も何台も置いて行ったそう。

次に、auが電波受信装置を設置。ドコモは10日以上経って仮の電波棟を設置。

今までは、目の前に高いドコモの電波塔が建っていたので、スマホの表示も早かったが、今は簡易の電波棟なので、ちょっと速度が遅く、時々表示が悪いなと感じる。

 

2週間後の7月17日に仮道路ができ、動けるようになった。

ようやく重機で土石流を片付けてもらえそう。

道路や橋はすぐから工事に掛かっていたが、個人の家は市役所へり災証明の申請をして、現地調査があって、決定することになる。り災証明が出るのに、時間がかかるので、再度、土石流撤去を市役所の3日以内にすぐやる課へお願いしてきたら、8月1日から取り合えず、工事をしてもらえるようになった。岩や石ころだらけの道なので、長靴も破れて、足が疲れて痛くなってきました。

  

ダム湖化した下に止めていた車を見にいったら、後部の窓ガラスが割れて、破片で中はメチャメチャなので、自動車修工場へ持って行き、破片を掃除機で吸い取ってもらい、窓ガラスを注文してきた。窓ガラスが来るまでの間、雨の日は、中で傘を差して走った。

 

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